ログインシルヴィアは今にも泣き出しそうになる。
期限の2日前は最後の朝餐だと思ったけれど、違った。 でも、今宵はほんとうに最後の――――。 「最後の晩餐だ、とでも思ったか?」 「え、いえ、あの……」 「らしくないことを言ったが、最後ではない」 ハドリーの言葉に力強さを感じた。 そうだ。ハドリーは必ず生きて帰るお人。 「殿下、戻られたらまた一緒に食べて頂けますか?」 「ああ、約束しよう」 シルヴィアはハドリーに優しく微笑んだ。 * * * 翌日の早朝。シルヴィアは書斎でハドリーの編み終わりの髪をシルクのリボンできゅっと結ぶ。 いつも以上に丁寧に、そして緩めにきちんと編め、シルヴィアは、ほっと息を吐く。 「殿下、出来ました」 シルヴィアはハドリーに小さな鏡を手渡そうとする。 だが、ハドリーは「いい」とそれを拒む。 「殿下?」 「お前が結ったのだから出来ているに決まっている」* * * ハドリーは魔形を浄化するもどこか腑に落ちない。 辺りがやけに静かすぎる。 ど、くん。 ハドリーは突如、動けない程の異様な物凄く強い気配を感じた。 その直後、夜空がピキピキと割れ、開かれた蠢く稲妻のようなゲートから天にも届く程の巨体――黒い霧が人のような姿を成し、世界の闇を吸い込んだかのような虚無の魔形が現れた。 魔形は両掌を下に向ける。 すると無数の分身がハドリー達に向けて放たれた。 「戦闘開始!」 ハドリーが力強く叫ぶと、リゼルとフィオン達は鞘から剣を抜き、残りの騎士達も剣を構え、影のような無数の分身を斬り落としていく。 だが、苦戦し、本体の魔形に攻撃一つ出来ない。 こんな分身共に時間を取られるとは。 「くっ」 「切りがない」 リゼルとフィオンは息を荒げながら不平の言葉を零す。 そんな中、魔形が新たな分身を3体放つ。 放った矛先はこの場ではなく、帝都だった。 影のような分身は目にも見えぬ速さで夜空を飛翔し、遠ざかって行く。 (シルヴィア!) ハドリーは前線で冷徹に魔形を斬り伏せながらも、心中で初めて動揺し、制御を失いかける。 そして同時にシルヴィアへの守りたいという強き心情が、想いが爆発し、心が叫ぶ。 シルヴィアだから、傍にいてほしいという感情の名を。 彼女はもはや単なる偽の花嫁ではない、愛おしく、かけがえのない存在だと。 花びらが舞い、柔らかく微笑む彼女がふと頭を過る。 だからこそ、約束通り、シルヴィアの元に早く戻らねば。 そう自分の真の想いに気づき、強く決意した時だった。 魔形がハドリーの動揺を見抜き、想いごと打ち消すかのごとく、ハドリーに向けて闇のいかづちを轟音と共に落とした――――。 * * * シルヴィアが両目を閉じ、小さな株の蕾に触れている時だった。 首元からハドリーのネックレスに付いている魔法石が突如外れ、床に落ちる。 魔法石がパリン、と割れた。 シルヴィアの瞳が大き
* * * 出立してからどのくらい時間が経っただろう。 ハドリーは宮殿でフィオン達と合流し、馬を走らせ国境を目指した。 その後、国境付近の森に入り込み、リゼルと共に高貴な馬を太い木にくくり、同じく馬をくくったフィオン達とテントを張ると、食事を取って森で夜を越す。 そのまま睡眠で体力も回復させ、日が昇る前に馬番を数名残して発ち、フィオン達を連れて歩を進める。 昼間は木陰や茂みに隠れ、慎重に進み、幾度かの休憩を挟みつつ、夕暮れ時に距離を稼ぐ。 そして、国境の地に辿り着いたのは、今宵のことだった。 目の前には荒れ果てた広大な草原が広がり、魔形の痕跡が残る不気味な石碑があちこちに転がっている。風が吹く度、雑草がざわめき、遠くで魔形による地響きが鳴り響く。 「行くぞ」 ハドリーの低い声に、リゼルとフィオン達は気を引き締め、歩みを進める。 すると、先行部隊が作ったテントが見え、その横を通り過ぎる。 やがて、草原の奥に足を踏み入れると、テントで寝ているはずの深手を負ったフェリクスが倒れている姿がハドリーの目に入った。 傍らには、彼を守ろうと一人の騎士が剣を握り締めながら膝をつき、周囲を固める数名の騎士達の顔は疲弊しきっており、今にも力尽きそうだ。 「ハドリー殿下!」 フェリクスを守っていた騎士が叫び、その声に他の騎士達の死んだような瞳が一瞬にして明るくなる。 「戦況をお伝え致します! 弱い魔形はすでに全て浄化済みでありますが、中位程度の強さの魔形の出現により、騎士長がやられ、戦闘不能の騎士達がいるテントに運ぼうと致しましたが、この場から離れようとせずシルヴィア様の薬を飲み、先程まで必死に戦い抜かれ、現在、劣勢となっている次第でございます!」 フェリクスを守っていた騎士の報告を聞いた瞬間、ハドリーは、より冷厳な雰囲気を纏う。 その雰囲気は誰も手出しするなと言っているかのようだった。 ハドリーは鞘から剣を抜き、身長数メートル程の、黒き破れた布で全身を覆い隠し、影の顔と両手のみを見せた、人に近いレイスらしき存在――負の魂を統べるような魔形に向かって一直線に駆けて行く。
シルヴィアは今にも泣き出しそうになる。 期限の2日前は最後の朝餐だと思ったけれど、違った。 でも、今宵はほんとうに最後の――――。 「最後の晩餐だ、とでも思ったか?」 「え、いえ、あの……」 「らしくないことを言ったが、最後ではない」 ハドリーの言葉に力強さを感じた。 そうだ。ハドリーは必ず生きて帰るお人。 「殿下、戻られたらまた一緒に食べて頂けますか?」 「ああ、約束しよう」 シルヴィアはハドリーに優しく微笑んだ。 * * * 翌日の早朝。シルヴィアは書斎でハドリーの編み終わりの髪をシルクのリボンできゅっと結ぶ。 いつも以上に丁寧に、そして緩めにきちんと編め、シルヴィアは、ほっと息を吐く。 「殿下、出来ました」 シルヴィアはハドリーに小さな鏡を手渡そうとする。 だが、ハドリーは「いい」とそれを拒む。 「殿下?」 「お前が結ったのだから出来ているに決まっている」 シルヴィアはハドリーの言葉にぐっと胸を詰まらせる。 (そこまで自分の腕を認めて下さっていただなんて……) 涙を堪えつつ、やがてシルヴィアはハドリーと共に書斎を出て、玄関に向かう。 するとベルとリゼルに使用人全員、そして見た事のない護衛らしき青年が待っていた。 「ベル、信頼する護衛を一人残しておく。よって、家のことはメイド、執事、料理番、警備に全て任せ、護衛と共にシルヴィアを守り抜け」 「かしこまりました」 「リゼルは馬の準備を」 「はっ」 「私も手伝います」 ベルは気を利かせてか、リゼルと共に外に出て行き、護衛と使用人全員もまた出て行った。 「それからシルヴィア、これを」 ハドリーは正装のポケットからネックレスを取り出し手渡す。 「自分の力と繋がったネックレスだ」 「ありがとうございます、お守り代わりに致します。それであの……、付けて頂いても宜しいでしょうか……?」 「ああ」 ハドリーはシルヴィアの掌
* * *──夜。シルヴィアは帰宅したハドリーを出迎え、一緒に玄関から中に入ると、ハドリーに腕を掴まれた。「……殿下? いかがなされましたか?」「夕食前に書斎で話がある」ハドリーの言葉を聞いた瞬間、嫌な予感がよぎる。「かしこまりました」シルヴィアは了承し、ハドリーと共に書斎へと向かう。そして、ハドリーに続き中に入ると、シルヴィアは扉を閉めた。ふたりきりの書斎……しん、とした静かな空気が流れる。話の内容を聞かなければ。そう思うのに、口が動かない。棒立ちしていると、ハドリーが先にソファーに座る。「まずは座れ」ハドリーは隣の座面をぽんっと叩く。シルヴィアは頷き、ハドリーの隣に座った。「話しても良いか?」「は、はい……」答えると、ハドリーは真剣な眼差しでこちらを見つめる。「──シルヴィア、私は明日、国境に向け、ここを出立する」ハドリーの宣言に、シルヴィアは両目を見開き、固まった。──ああ。嫌な予感が的中してしまった……。「それは……前線に立つ、ということでしょうか……?」「ああ、フィオンも連れて行く」(そんな…………)前線には立たない、大丈夫だ、と言ったくせに。「……嘘つき」小声で囁くと、シルヴィアはハッとする。(今、殿下に、わたし…………)「嘘つき、か」「あ、聞こえ……申し訳……」「謝らなくて良い。本当のことだからな」シルヴィアはぎゅっと自分の手を握り締める。(わたし、最低だ……。殿下がどれ程の想いで出立
* * *翌日の早朝。シルヴィアは玄関前でそわそわしながらハドリーの帰宅を待つ。ハドリーは昨夜、皇帝に緊急で呼ばれ、リゼルを連れて宮殿へと馬で向かった。早朝には一旦お戻りになるとのことだけれど、とても嫌な予感がする。シルヴィアが不安に思い、ぎゅっと胸に手を当てた時だった。高貴な馬に騎乗したハドリーの姿が両目に映る。同じく馬に乗るリゼルと共に戻ってきた。ハドリーとリゼルは馬から降り、こちらへ歩いてくる。「今帰った」「殿下、おかえりなさいませ」「ベルは、どうした?」「先程までお見えになりましたが、急用が出来たとの事で外されてみえます」「そうか」シルヴィアは会釈すると扉を開け、ハドリーと共に中に入る。「あの、殿下、緊急の用件とは……?」「──国境にてゲートが開き、厄災の刻が始まったと皇帝の元に知らせが届いた」シルヴィアは両目を見開く。「厄災の刻が……?」「ああ。フェリクスの騎士団が国境へと向かった」そのことを聞き、ふとあの金髪が頭に浮かぶ。「ではフィオンも……?」「いや、騎士団の半分は待機中であり、フィオンはまだ宮殿に留まっている」「そう、ですか……あの、殿下は……?」「私は前線には立たない」ハドリーの言葉に、内心安堵する自分が嫌になる。ハドリーは今も皇位継承をも望まず拒み続けておられ、言葉通り、国境に行く気はないのだろう。(けれど、近々殿下も…………)ハドリーは不安な心を読んだのか、ぽんと優しく頭を叩く。「シルヴィア、大丈夫だ」「はい……」それからシルヴィアは宮殿に通うのは危ないとのことで、当分の間、邸宅に留まることとなった。雑務をこなしながら、ハドリーに料理をお出しし、髪結いを
* * *それからシルヴィアは宮殿へ騎乗したハドリーとリゼルと共に馬車で移動し、皇帝の間に足を踏み入れた。先を歩くハドリーに続いて玉座まで近づいていき、順に跪く。皇帝の隣に座る皇后は神聖なる姫そのもののお姿だった。「急に呼び出してすまぬの。妻がどうしてもシルヴィアに会いたいと効かないものでな」「陛下、このような場で妻呼びはお控なさって」「それでご用件は? 忙しいゆえ、手短に願いたい」ハドリーの言葉はいつにもまして刺のよう。(ここに来る前から殿下は嫌がられていたし、皇后様とは不仲みたい……)皇后はハドリーを無視し、シルヴィアに目線を向ける。「単刀直入に申し上げます。シルヴィア、貴女には通いで明日からわたくしの特訓を受けて頂きます」(え…………)「何を勝手な!」「ハドリー、口を慎みなさい。今、わたくしが話しているのよ」ハドリーは黙り、皇后を睨む。「厄災の刻が近づいて来ているのですから、満を持すのは当然のこと。特訓に加え、いくつか試作もして頂きますのでそのおつもりで」「かしこまりました」シルヴィアは深々と頭を下げた。その後、皇帝の間をハドリーと出る。「シルヴィア、封印は私が必ず解く。だから極力無理はするな」「殿下、ありがとうございます」* * *こうして、翌日の朝から、皇后の特訓が宮殿の中庭で始まり、レディーのたしなみも教わりつつ、午後は邸宅に戻り、雑務に追われ、夜はリゼルが帝都の花壇から摘んできた小さな株の蕾を咲かせる為、シルヴィアはベット側にその株を飾りながら眠ったり、祈ってみたり、蕾に触れ、発光と拒絶を繰り返す日々を送った。しかし、封印が解けることはなく、焦る気持ちが膨らむばかり。それを見透かされたのか、宮殿の中庭で皇后が深い息を吐く。「4週間で集中を切らすとは何事ですか」皇后は祈るシルヴィアを注意する。「申し訳ありません……」「全